長文を読むこと・覚えること
小学部「速読解思考力講座」では、最後の10分間はタブレットから離れてテキスト「レキシとコトバの先生(レキコト)」を使って【読むこと・書くこと】を行っています。
毎回、歴史上の偉人にまつわるお話(10行程度)を1つ取り上げその本文を、
①原稿用紙に丁寧にすべてを書き写す。
➁何回も読む。そして暗記する。
ことをします!(お話自体は、小学生には少し難しかったり、知らない言葉が多かったりするかもしれません)
この取り組みの目的としては、歴史上の人物に興味を持ってもらいたい、という思いもありますが、何よりも
長い文章を『読む』『書く』『覚える』
ことを一番に考えます。
私自身、かつて小学生や中学生のころに意味もわからないまま「枕草子」や「平家物語」、「徒然草」などを暗誦させられた(ではなくて…)暗誦していました。中学では英語の教科書本文を暗誦する校内の大会などがあったことも記憶しています。今思えば、よくわからない内容のものをひたすらいいから覚えなさい!と言われてやっていたので、当時は苦痛そのものでした…。がっ!、その、
《よくわからない文でもいいからとにかく覚えてみること》
は、確実にその後の私の学習の力の土台となっていると実感しています。
( ↑ 手前の子が先生に発表しています。先生は本文を確認しながら聞いています。)
・たくさんの情報に対する抵抗感をなくす
・知識どうしをつなげる意識が高まる
・忍耐力が養われる・大きな達成感を味わえる
など、いろいろな経験や学びへつながる、と確信しています。
様々な”SNS”や”youtube”などが情報伝達ツールとして全盛の現在、それらは使い方によってはとても便利ではあります。しかし、反面、その影響かと思えるような危機感もあります。その一つが今どきの子に感じる
ショート的(短絡的)な思考
です。適する単語を答えたり短い語句で発言することはできます。もちろん単語をたくさん暗記することもできます。しかし、覚えた語や語句などの知識をつなげたりまとめたりする力が弱くなったように思えます。
”youtube"は私自身も好きなのでよく視聴していますが、流れる動画の多くは「5分~10分」程度の短い内容です(今はさらにショート動画?なるものもあるようです)。薄い関連度でコロコロと次々と見ていくことができる仕組みが多くの人に受け入れられている要素なのではないかと捉えています。「短い(少ない・薄い)情報」が「次々(点々)と」やってきて、私たちはそれらをただぼーっとBGMのように受け流しているだけのような気がしてなりません。また、”SNS”においても『いかに短く』『端的に』相手に表現するかがポイントとなっているようです(若い人のLINEやDMでは1~2語を何度も互いに往復させているようで、長いLINEはおじさんたちの特徴のようです💦)。
「コスパ」という言葉がはやっている時代でもあります。しかし、やはりどこかの時期や場面で、
《一つのことを「じっくり」と「深く」捉え考え、ある形に「完成させる」》
という経験は絶対に必要なことなのではないでしょうか?
その経験は、やがて一つの形としての結果が求められる《受験》という壁を乗り越えるときに、またその先の将来、自分たちの未知なる道を切り拓いていくときに、大いなる力として自分たちを支えてれることと思います。
(↑ 先生への発表前、生徒同士でチェックし練習しているところです)
低学年は「音読できること」が目標でしたが、なんと本日ある生徒が『僕は暗記してきた!!」と力強く教えてくれました。そして、私の前で暗誦してもらうとき、その子は一文字一文字を、一文一文を、必死に思い出しながら、発表してくれました(なんとほぼ完ぺきに『蘇我馬子』のページを暗誦していました)。その姿には感動すら覚えます😢
「大量のものを次々と素早く処理する力」
確かに今の時代には不可欠です。と同時に
「一つのものをじっくりと見つめ深める力」
も絶対に必要です。
いっけん相反するような2つの力、実は表裏一体な力なのではないでしょうか。
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